2013年8月29日木曜日

メモ

小さい頃、自分が好きだと思う品物と友達が選ぶものとがずいぶんとかけ離れていて、何か自分の感覚に欠陥でもあるのではと思い悩んだこともある。
 しかし、人は皆違う人格を持つのだから、その選択が異なるのは当たりまえ。僕達は美術や骨董という、日常生活から少し離れたものに対する時、使い慣れた一人一人のモノサシを放り出し、西洋の人達の美術史や、昔の日本のお茶人の美意識に頼りきってきたようだ。
 西洋の美術は、あの乾燥した地中海の強い光の中でこそ成り立つもの。湿気が多い日本の、障子を通した柔らかい光の中ではトテモ、トテモ。又、死と対峙し、余分なものを削ぎ落として道を究めた初期茶人の見事な精神も、僕のように縁側でセンベイバリバリ、番茶ズルズル派の人間にはしょせん無理。
 美しさは知識からは見えてこない。自由な眼と柔らかな心がその扉を開く鍵らしい。ムツかしい理論よサヨウナラ。高い品物の中にしか美しいものがないと信じている人、ゴクロウさま。
 僕はせいぜい寝っころがりながら、自分のモノサシに油を塗り、使い込んで柔らかくして、何ともない身のまわりの工芸品から美しいものを選択して行こう。それは又、自分自身を確立し、歩こうとする道を明らかにすることでもあるのだ。

「ひとりよがりのものさし/坂田和實」

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